名チームオーナーのパット・パトリックが逝去



かつて、自らパトリックレーシングを率い、インディ500を3回制したU.E.”パット”パトリックが1月5日に亡くなりました。91歳だったパトリックはフェニックスで長らく闘病生活を送っていました。

パトリックレーシングは1973年と1982年にゴードン・ジョンコックのドライブでインディ500で優勝。1989年はエマーソン・フィッティパルディがアル・アンサーJr.の猛攻をしのいでインディ500を制し、インディ500で3勝挙げた7チーム(2020年現在)の一つとなっています。

パトリックレーシングは1970年から95年までは毎年インディ500に参戦し、最後の参戦となった2004年はアル・アンサーJr.が17位フィニッシュしています。

これまでの功績が称えられたケンタッキー出身のパトリックは2016年にインディアナポリスモータースピードウェイの殿堂入りし、2018年にはアメリカモータースポーツの殿堂入りをしていました。

パトリックは1963年にミシガンで石油の採掘に成功しパトリックペトロリアムを創業。その優れた石油掘削技術(wildcatter)にちなんで後日チームによって開発されたレースカーシャシーは「ワイルドキャット」と名付けられています。

パトリックは1967年に同業者のウォルト・ミッチナーが率いるチームをサポートする形でインディカーでのキャリアをスタート。1970年にはチームとして独立し、ジョニー・ラザフォードのドライブでインディ500デビューイヤーで予選2位のフロントローを獲得。決勝レースは排気管のトラブルでDNFの18位に終わっています。

その3年後の1973年。ドライバーにはベテランのゴードン・ジョンコックを起用して雨で短縮されたインディ500でチーム初優勝。1982年には再びジョンコックのドライブでインディ500での2勝得目を上げました。

この2勝目は最後はリック・メアーズとのつばぜり合いをコンマ19秒差で制して当時としては史上最小差記録となりました。

パトリックのインディ500での3勝目は1989年。ドライバーはエマーソン・フィッティパルディ。レース終盤はアル・アンサーJr.と周回遅れをかいくぐりながらの激しいバトルを展開。最後に2台は接触してアルJr.はウォールにクラッシュ。レースカーから降りたアルJr.はイエロー中の最終ラップでフィッティパルディの通過をサムアップと拍手で見送っています。

このパトリックレーシングの1982年と1989年のインディ500の最後のバトルは共に何回も映像でリプレイされる有名なシーンとなっています。

パトリックレーシングはジョンコックが1979年にシリーズタイトルを獲得。フィッティパルディも1989年にシリーズタイトルを獲得したほか、インディカーでは通算49勝を挙げました。

最後の優勝は2001年のCARTバンクーバー戦でロベルト・モレノによるものでした。

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