SAFERバリアーが15周年




5月5日はこどもの日ですが、インディアナポリス・モータースピードウェイとロビー・マギーにとっては記憶に残る特別な日となりました。



2002年の5月5日、ロビー・マギーは練習走行中にターン3でスピンし、激しくウォールにたたきつけられました。そのクラッシュでマギーは背骨と左足を骨折した他、その年のインディ500出場の望みを絶たれました。



しかしマギーの怪我はモータースポーツ史上画期的なこの装置がなければもっと悪いものになっていたことは間違いありません。



その2002年にインディアナポリス・モータースピードウェイはコンクリートウォールにSAFER(Steel And Form Energy Reduction)バリアー(衝撃吸収バリアー)を世界に先駆けて設置。その設置後最初の練習セッションでマギーはクラッシュしてセーファーバリアーの安全性を実証した最初のドライバーとなりました。



それ以来、この15年間でインディカーレースを開催するすべてのオーバルトラック(ツインリンクもてぎを含む)とロードコースの危険個所にはSAFERバリアが設置されています。





SAFERバリアーは”ソフトウォール”ではなく、その表面は柔らかくはありません。鉄製の四角断面のチューブを積みかさねて壁状にしてコンクリートウォールとの間にウレタンフォームを挟んで設置されます。



その昔は衝撃を吸収するとしてガードレールが設置されていた時代もありましたが、ガードレールはレーシングカーが食い込んで変形させたり、下をくぐったりしてかえって危険だとわかりました。堅いコンクリートウォールに浅い角度でレースカーを衝突させて、滑らせながら減速させる方が安全だということでSAFERウォールもその考え方を発展させたものになっています。



現在設置されているSAFERバリアーは”バージョン2”と呼ばれるもので、マギーの最初のクラッシュが詳細に分析されて、2003年末にはこの”バージョン2”がインディアナポリス・モータースピードウェイに設置されています。





最初のSAFERバリアーは下の写真のように鉄製チューブを4段積み重ねて溶接されて設置されていました。



当初はタイヤのパンクで車高が下がることが考慮されておらず、実際の衝突点は想定よりも低い位置であることがマギーの実際のクラッシュを分析した結果判明しました。





そのために上の写真のように高さが大きめの最下段のチューブが著しく変形するということで、均等な高さ8インチのチューブを5段積みにして溶接し、一定の衝撃を受けると溶接部分が破断することで衝撃を吸収するようにして、ウレタンフォームの幅も鉄製チューブからコンクリートウォールに行くにしたがって幅広にするする仕様に変更されました。



現在設置されているすべてのトラックがこの”バージョン2”を設置しています。



SAFERバリアーの改良に関する研究は現在も継続され、経年劣化が激しいウレタンフォームの長寿命化などが現在も課題となっています。



しかしながら、このSAFERバリアーの登場でドライバーへの衝突Gは70Gを超えることが無くなり、それ以来、ヘリコプターによるメソジスト病院への緊急搬送は1件もありません。(2003年のトニー・レナの死亡事故はフェンスへの直撃によるもの)



SAFERバリアー設置以降でレースカーが記録した最大衝撃Gは、2015年のインディ500のプラクティス中にJヒンチクリフがクラッシュした時の125Gでしたが、その後の事故対策として、サスペンションアームがモノコックタブを突き抜けにくいものに形状変更されています。
このSAFERバリアーの開発では2000年インディ500のプラクティス中に大クラッシュした松田秀士さんのデータが非常に役立ったと、当時セーフティチームリーダーを務めていたデイブ・ブラウンさんがのちのインディジャパンで松田さんと再会した時にお礼を言っていました。

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