メナードが念願の”ブリックヤード”初優勝



長年チームを率いてインディ500に参戦してきたジョン・メナードにとって、インディGPでのSパジェノー優勝は37年目にしてのブリックヤード初優勝でした。もちろん、インディ500での悲願の初優勝もかなりリアリティを帯びたものになってきました。

最近ではNASCARドライバーの”ポール・メナードのお父さん”として認識している人も多いようですが、そもそも、ジョン・メナードはインディ500での優勝目指してポールが生まれる前の1979年から自らチームを率いて参戦してきた熱血オーナーです。

Sパジェノーがトップでチェッカーを受けた瞬間にロジャー・ペンスキーに向かって「ロジャー!!」と大声で叫ぶと大喜びでピットウォールを乗り越えてSパジェノーへと歩み寄りました。

TV中継ではJメナードが満面の笑みでパジェノーに歩み寄るところで映像が切り替わってしまい、歓喜の抱擁の瞬間は残念ながら見られませんでした。
下は映像が切り替わる前の瞬間のパジェノーに歩み寄るメナード。


チーム・メナードとしては1999年にグレッグ・レイがシリーズチャンピオンを獲得した後、2004年にパンサーレーシングに吸収合併される形でチーム活動を終えましたが、その後はビジョンレーシングでエド・カーペンターのメインスポンサーを務めるなどしてインディカーに参加してきました。

メナードはインディ500での優勝を目指すと同時にインディ500でのポールポジション獲得にも執念を燃やし、かつてはペンスキーの強烈なライバルでした。

ターボブースト圧で有利になる市販ブロックを使用したビュイック製V6OHV(1000馬力!)を1991年から1996年まで使用し、ビュイックのインディ参戦撤退後もエンジンを買い取って”メナードV6エンジン”として参戦を継続。1995年にはスコット・ブレイトンが念願のポールポジションを獲得しました。

Photo:IMS

よく1996年にはSブレイトンが2年連続でポールポジションを獲得しましたが、ポールデー翌週のプラクティス中にタイヤのブローで時速230マイル以上でクラッシュして帰らぬ人となりました。

Sブレイトンに代わって最後尾からスタートしたダニー・オンガイスは7位フィニッシュしています。その年に松田秀士さんは8位フィニッシュしています。

今回のSパジェノーの優勝と今シーズンンの彼の勢いに、ジョン・メナードは悲願のインディ500初優勝の可能性を大きく感じ取ったに違いありません。

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