レイホールレターマンラニガンレーシングにインディ500での勝利を取り戻した琢磨選手


https://www.indycar.com/News/2020/12/12-30-BMartin-Top-3-Sato-Indy-500
第104回インディアナポリス500での注目の一つに、だれがインディ500での2勝目をあげるのかというものがあった。この年のインディ500でスターティンググリッドにラインナップされた33台のなかで優勝経験者は8人。その中で複数回優勝しているのはエリオ・カストロネベスだけだった。

結果的にその注目の通りとなったが、少々意外なドライバーがレースを制した。

本命と目されたスコット・ディクソンのインディ2勝目を阻止したのは佐藤琢磨だった。

琢磨は打倒ディクソンへの手ごたえを確実につかんでいた。

事実、ディクソンは200周中の111周をリード。琢磨がレースをリードしたのは27周だけだったが、レースを通じてディクソンについていくだけの十分な速さがあった。

琢磨は徐々にディクソンを追い詰めて185周目にラップリードを奪い、しばらくはディクソンとのつばぜり合いを演じたが、196周目に琢磨のチームメイトであるスペンサー・ピゴットのクラッシュで出されたコーションによってレースはそのまま終了し、決着がつけられた。

「琢磨は周回遅れの中でも速く、その中で最後はディクソンを十分に引き離していた」「琢磨にとってインディ500での2勝目は素晴らしいレース内容だった」と、チームオーナーのボビー・レイホールは絶賛する。

琢磨にとってはアンドレッティオートスポーツから参戦した2017年にカストロネベスとの激しいバトルを制して以来のインディ500での優勝。いずれも最強チームの最強ドライバーを制しての勝利だった。

「ディクソンやエリオの様なインディカーを代表するドライバーと激しいレースができたことをうれしく感じます」「2017年のエリオとのレースも最高でしたが、今年も最強のドライバーとのレースになりました。明らかにディクソンはプラクティス、予選、からレース中盤を通じて最強でしたから」「決勝レースは最終スティントのラスト30周に全力が出し切れるように集中しました。そのレースで一番重要な部分でそれまでに積み重ねてきたすべてを出し切って、運も含めてすべてがうまくいったと思います。すごくうれしいですし最高に満足しています」と琢磨はコメント。

2012年のインディ500では琢磨は同じくレイホールレターマンラニガンレーシング(RLLR)から参戦。最終ラップでレースをリードするダリオ・フランキッティにバトルを仕掛けながらもクラッシュでレースが終了。琢磨はダリオへの祝福と果敢な挑戦者への称賛の拍手の中でサウスシュートに止まったレースカーから降りることになったが、そのレースでも琢磨は最初のスティントでRLLRでインディ500を優勝できる手ごたえをつかんでいた。

2018年にRLLRに復帰した琢磨にとって、2012年に取り逃したインディ500での優勝をこのチームにもたらし、レイホール、レターマン、ラニガンの3人のチームオーナーを喜ばせることが第一目標になっていた。

そして、その目標を達成する日は2020年はいつもよりも3か月遅れでやってきた。

「チームオーナーはボビー、デイビッド、マイクの3人ですが、自分のレースカーの資金的な準備は全部マイク・ラニガンのおかげなんです。彼のおかげでレースに参戦ができています」

マイク・ラニガンはシカゴに拠点を置く重機製造会社のMi-Jackの代表を務め、創業者である父のジャック・ラニガンの代からMi-Jackはインディカーでのサポート活動を行ってきている。創業者のジャックは2019年1月に逝去し、ラニガン家にとってはインディ500での優勝は悲願となっていた。

「2013シーズンからAJフォイトレーシングに移籍して4年間を過ごし、その後はアンドレッティレーシングに行きましたが、その間もボビーとマイクには「いつウチに戻ってくるんだ?」とことあるごとに聞かれていました」

2013シーズンからRLLRはボビーの息子のグラハムの加入が決まっていたものの、2台目を走らせるための資金は準備できていなかった。その結果、琢磨はRLLRでのシートを失う形になり、琢磨に目をつけていた偉大なドライバーが率いるAJフォイトレーシングへ移籍することになった。

「マイクがレースカーを用意して待っていてくれたんです。本当に彼には感謝しています。アメリカの家族の元に戻れて本当にうれしかったです」

そのアメリカの家族の中には英国から来ていたエンジニアのエディー・ジョーンズがいた。エディは2017年いっぱいで仕事を引退して英国へ戻る予定だったが、琢磨のチーム加入を聞いて急遽帰国を取りやめて単身アメリカに残る決心をしていた。エディにとってもインディ500優勝は悲願で、結果的にエディはインディ500優勝という最高の勲章を手に故国へ凱旋して行った。

「最高のエンジニア陣でした。エディは元はレースカードライバーでポコノやニュルブルクリンクを走った経験もあるんです。それに、レースカーデザイナー、レースカービルダーとしての経験もあってレースカーのすべてを知り尽くしているんです。彼との相性は最高で、仕事をスタートさせた初日から完璧な二人三脚でした。」

琢磨の2回目のインディ500優勝は2017年の勝利とは少々違った形で達成されたが、果敢な動きと確かな速さ、そしてチームの一体感もあって、スリリングで内容の濃いものとなった。

「今回のインディ500優勝は前回と同じようであって、全く違ったものですが、インディ500で勝つためにはチームにすべてのものがそろって一つにならなければいけません。今回は自分がその一つになれたということです。インディ500で優勝した時の感動は2017年も2020年も全く同じです。ただ一つ違うことがあるとすれば、今回は2012年の分も取り戻したということでしょうか。インディ500初優勝は言葉では言い表せないものでしたが、2回目の経験でもそれは同じで特別で言い表せないものでした。」

「でも、今回はフィニッシュの時は前回と比べてだいぶ落ち着いてましたよ」

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