インディカーとIMSをペンスキーに譲渡



インディカーとインディアナポリスモータースピードウェイ(IMS)を所有するハルマン&カンパニーは、インディカーとIMS、IMSプロダクションズ(映像制作会社)の譲渡に関してペンスキーコーポレーションと合意したことを発表しました。

譲渡先はペンスキーコーポレーションの子会社のペンスキーエンターテイメントで、所定の手続きが終了次第、譲渡が完了します。

IMSは地元実業家のカール・フィッシャー他3人によって建設され、1911年にインディ500を初開催。その後スピードウェイは1927年に第一次大戦の撃墜王として名を馳せたエディ・リッケンバッカーに売却されました。

第2次世界大戦終戦後の1945年にはインディアナポリスでベーキングパウダーの製造販売で財を成したトニー・ハルマンがスピードウェイの新オーナーになりました。ハルマンは戦時中に閉鎖されて荒廃していたスピードウェイを見事に復興させ、インディ500を世界最大のレースにまで成長させました。

トニー・ハルマンが1977年に亡くなった後はハルマン家がその後を継ぎましたが、トニー・ハルマンには一人娘のマリーしかなく、マリーがジョージ家に嫁ぐとその長男のトニー・ジョージがIMSの代表となり、それまで年に一度インディ500を開催するだけだったスピードウェイにNASCARブリックヤード400、F1世界選手権USGP、モトGPを誘致しました。

2019年現在ではインディ500は103回の開催を数えています。

ハルマン&カンパニーのトニー・ジョージ代表は「長らくペンスキー氏と譲渡について協議を重ねてきましたが、ようやく合意に達しました。インディアナポリスモーターは1909年以来の長い歴史と共にモータースポーツの聖地となり、そのスピードウェイにハルマン・ジョージ家が70年間以上もかかわってこれたことを光栄に思います。今回はスピードウェイの4代目のオーナーとなるロジャー・ペンスキー氏にすべて任せられることになって良かったと思います。インディカーレースとスピードウェイを未来へ継承するのに彼ほどふさわしい人物はいないと思います」とコメントしています。

譲渡先となるペンスキーコーポレーションはこれまでもモータースポーツ関連の施設を所有した経歴があり、1973年にミシガンインターナショナルスピードウェイを所有。その後はクリーブランドGPの開催、ナザレススピードウェイとカリフォルニアスピードウェイを所有した他、ノースカロライナレースウェイやホームステッドマイアミスピードウェイの回収などを行ってきました。
現在ではデトロイトGPをプロモートしています。

ロジャー・ペンスキーとスピードウェイとの最初の関わりは父親に連れられて足を運んだ1951年のインディ500.当時はちょうど50回目のインディ500開催でした。

「スピードウェイとインディカーの歴史は非常に長くて大きな尊敬に値します。ここまで歴史と伝統を守り続けてきたハルマン家には感謝するとともに、これらの財産を次世代にしっかりと後継させるべく努力してゆきたい」とペンスキーはコメントしています。

※「買収」という言葉は響きがよろしくない上に、いらぬ憶測を呼ぶ恐れがあるあるので、自分は「譲渡」という言葉に翻訳。 実態は「後継者がいないハルマン&カンパニーがモータースポーツ界での実績も財力も十分なペンスキーグループにスピードウェイとインディカーを託した」と言った感じ。

コメントを残す