レーサー鹿島さん、インディライツデビューまでを振り返る⑥

いよいよ予選。出走順は忘れました。


場内の電光板にも名前が表示されます。


【レーサー鹿島氏のコメント】
初めての予選でしたので、コースイン後の速度の上げ方に若干の躊躇があった気がしますが、(覚えていますかね)2006年のシカゴの時のように、決まっていない不安定なマシンを無理矢理でもスピードを上げていく経験値があればポールが取れた気がします。


予選出走直後は暫定2位だったと思いましたが、最終的に予選3位になりました。


インディライツ関係者やアメリカ人メディアからずいぶんと褒められましたね。私が。
「日本からいいドライバーを連れてきた」とか「これで、もっと日本からも挑戦に来るのではないか?」とか、インディライツPRスタッフのアシュレイには「Keiichiはまるで子供を褒められる親の気分でしょ?」とも言われました。


しかし、飛び込みで強引にコンタクトしながらも我々と契約してくれたサム・シュミットさんには本当に感謝ですね。


チームメイトのティアゴ・メデイロスがポールポジションを獲得。これはチーム1-2も十分にありうると大いに盛り上がりました。私も「もし、勝っちゃったらどうしよう・・・帰りはビジネスクラスかな??」などと夢は膨らむばかり。

スポッター担当のロジャーも責任重大になってきました。


大いに盛り上がった予選後でしたが、その晩にみんなで何を食べに行ったかが思い出せません。
つづく。

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