東京五輪ソフトボールで優勝した日本代表チームのメンバー・後藤希友(みう)選手(20)が 8/4出身地たる政令指定都市・名古屋の市役所に市長・『河村たかし』を表敬訪問。 市長河村から金メダルを見せてほしいとリクエストされた上で、自分の首にかけるように要求され、後藤選手が首にかけると突然、市長河村は自らのマスクを外し、後藤に無断で金メダルを噛んだ。 この行為により翌8/5午前までに名古屋市役所に3000件超の市長河村に対する抗議および批判が寄せられ、また、後藤選手が所属するトヨタ自動車も「あるまじき行為」「アスリートへの敬意や賞賛、(新型コロナウイルス)感染予防への配慮が感じられず、大変残念に思う」とのコメントを発表した。 市長河村は後日謝罪し、費用を自己負担で後藤選手に対する新しい金メダルの贈呈、自身に対する懲罰として減給(=無給)三か月を発表。 俺は元々、『河村たかし』という政治家を軽蔑していた。 この男は信念無く変節を幾度となく繰り返してきた。 西尾末広元官房長官が創立者・初代委員長たる民社党の第三代委員長である春日一幸衆院議員(当時)秘書や系列県議候補だったが民社党を除名~宏池会(=自民党・宮沢派)や日本新党の国会議員候補(1993年7月中選挙区制での最後の衆院選で日本新党公認で初当選)~新進党結党参加し分党で自身が名称発案『自由党』結党参加も数ヶ月で離党~民主党移籍したが(民社党出身者で構成する民社党継承政治団体・派閥)民社協会とは距離を置き国旗日の丸・国歌君が代の明文化目指してきた民社党の党員歴有すも1999年7月国旗国歌法案反対~「名古屋から首相を狙う男」名乗り民主党代表=最大野党党首=ネクスト首相の座狙い何度も代表選出馬表明したが結果的に推薦人集まらず代表選出馬経験皆無、結局離党し永田町去り民主党&連合愛知推薦で2009年4月市長初当選も敵対関係に。2011年の出直し選挙含め今春で連続5選4期目迎えた。 電力総連&中電労組から多大な支援や協力受け原発推進してきた民社党の党員歴有すも脱原発を主張。 20歳という年頃の女性が血の滲む様な不断の努力の末に勝ち取った金メダル、それを72歳の男性が無断で口に加えて、どんな気持ち・気分になるか想像出来ないのか。 怒りを通り超えて、呆れて空いた口が塞がらない。 モラルハラスメントもいいところだ。 名古屋市職員に向けた謝罪文 まるで殴り書きのような謝罪文 苦情対応に追われた職員たちへの謝罪文だが、「河村市長から反省の気持ちが伝わってこない」と火に油を注ぐ事態となっているのだ。 市長河村の謝罪文には、「名古屋市職員の皆さまへ」と題して次のように綴られている。 「この度は、私がひきおこした金メダル事件により、皆様にお詫び申し上げます。数多くの電話メール手紙等よせられ業務にめいわくをかけております。すべて私が悪かったことでございます。つつしんでお詫び申しあげます。以上」 「河村市長の文章は『ひきおこした』『めいわく』など、一般的には漢字で表記される言葉が平仮名で書かれていました。文体も『殴り書きでは?』と思うほど乱雑です。しかも最後は『以上』と締め括られており、まるで顛末書のようにも感じます」(市役所関係者) 直筆で職員たちに謝罪するも河村市長に“誠意が感じられない”として、ネット上では「辞任すべき」と辛辣な声が相次いでいる。 反省の欠片も感じられない。 正に「万死に値する」。即刻辞職すべきであろう。 俺自身も一人の政治家、一人の公人として、この男を反面教師にしたい。 元々、俺自身の座右の銘が有言実行・初志貫徹・首尾一貫・百折不撓である以上は、この男に限らず変節漢たる政治家全員が反面教師だ。 市長河村同様に、後の刑事被告人・小沢一郎が党首たる自由党に在籍していた変節漢が荒川寛 下記は18年前2003年と14年前2007年、二度に渡り統一地方・後半で練馬区議選に出馬 東京都田無市(=現在の西東京市)で出生。実父・亡父は開業歯科医で裕福に育った。しかし、ガラッパチ。 正則高校卒業しホテルにも勤務して調理師に。東京日産自動車販売㈱の社員なりトップセールスマン~独立開業し会社経営、 しかし同い年の友人が自身の会社の役員で数千万横領され会社の経営が傾き、亡父が残した遺産を食いつぶした(笑) 妻子とも別れ、前妻は他の男性と再婚(笑)元横綱・大乃国の芝田山親方に媒酌人務めて頂いたが疎遠に(笑) 会社経営と並行し、政治活動。新進党結党参加した渡辺浩一郎衆院議員の事務所スタッフ※渡辺衆院議員自身も小沢一郎側近の藤井裕久の秘書経験しながら藤井の所属政党の羽田孜党首&小沢代表幹事の新生党ではなく(市長河村同様に)細川護熙代表率いる93年日本新党新人として初当選~95年新進党党首選で小沢幹事長ではなく羽田元首相の推薦人名簿に名を連ねながら(96年落選し前議員として)新進党分党後は羽田&細川の民政党→民主党ではなく小沢一郎率いる自由党に参加(笑) 荒川寛は「最も尊敬する政治家・小沢一郎党首」と公言、自身も自由党結党当初から党員活動(といってもLカデット=小沢党首が理事長の自由総研・研究員でも、小沢一郎政治塾塾生でもない、新進党・新生党で党員活動しなかった、改革フォーラム21の会員活動や93年6/22羽田&小沢が自民党離党以前に自民党員として活動しなかった、笑笑) 小沢党首の秘書だった自由党東京9区支部長(=衆院候補)・川島智太郎秘書。03年33歳で区議選出馬し落選~民由合併で自身と同じ小沢自由党出身の民主党新人・鈴木盛夫選挙スタッフ(=杉並で石原伸晃国交相<当時>の対立候補)、衆院選後に自身は民主党と距離置き無所属で活動 前述川島の対立候補の(都連の幹部である伸晃を慕い08・12両年総裁選で伸晃推薦人)自民党・菅原一秀衆院議員(当時)にすり寄り自民党公認で07年区議選再度出馬し落選~数年後に自民党離党、維新の都議候補&国会議員候補を応援。 06年夏に東大泉を拠点に翌春の区議選に自民党公認で出馬が決定した頃は、「この地域に骨を埋める覚悟」とブログに書いたが、07年37歳で二回連続落選し40代前半の2010年代前半から埼玉県所沢市を拠点に活動(笑) 市長河村は93年日本新党公認&さきがけ推薦で衆院初当選。 さきがけ出身者でいえば岡山市内で保険代理店営んだり学習塾・個別指導Axis万倍校責任者務める綾大介という男がいる。 この男もトンでもない変節漢(笑) 二浪して入学の1993年7月明治大学農学部1年の夏、 衆院選で当時・社民連前職(日本人拉致実行犯たる北朝鮮工作員シンガンス釈放嘆願書に署名~後に国旗国歌法案反対し外国人参政権実現に尽力)弁理士・韓直人の事務所のボランティアスタッフ さきがけ~旧民主党~民主党と韓直人と政治行動を共にし、それらの政党の青年組織で主体的役割を果たし(25歳で明大卒業)旧民主党本部や民主党岡山県連事務局に勤務 1999年岡山市長選の手伝いで知り合った姫井由美子事務所勤務経験有する佐藤美紀と交際し2001年1/1婚姻届提出前にお腹に命が宿り2001年1/21結婚式で韓直人・伸子夫妻に媒酌人まで務めてもらって その席上、 「韓さんを首相にする事が自分の夢、その手伝いをするのが自分の目標」述べたが2002年12月韓直人が最大野党の党首=民主党代表=ネクスト首相に返り咲いた翌月2003年1月民主党離党~本来希望していた民主党からは公認・推薦得られないがゆえ「自民党でも民主党でもない」無所属(日本政策フロンティア推薦)で岡山県議選出馬し民主党公認候補と敵対し次点。しかも民主党除名された田中甲&山村健両衆院議員に御支援受ける。県議選落選後、衆院議員会館内の山村事務所で手伝いしたかと思えば、03年衆院選では(さきがけ~旧民主党出身)民主党前職の井上和雄候補のお手伝い 2005年8月郵政解散以降は自身の岡山中高の一年後輩の自民党・平成研究会の橋本岳(橋本龍太郎元首相の次男)の支援者=民主党政権&韓直人首班の内閣樹立の為にお手伝いする目標にする事とは完全に逆行 しかも対立候補の民主党新人・柚木道義は幼稚園同級生で、県連職員当時は当然仲間でもあった。柚木道義は韓直人の盟友・江田五月参院議員の秘書も経験し初当選後は党内派閥・韓G加入し初当選直後と数か月後の民主党代表選で韓直人推薦人名簿に名を連ねるほど。2015年には岡山市議選南区選挙区から無所属で出馬も最下位で落選(自民党の公認・推薦ではない)。 「出来もしない事は口にしない&守れない約束は最初からしない」何故、そんな事も理解出来ないのだろう(笑) (笑) さきがけ出身者たる変節漢では他にも小金井市長・西岡真一郎 先日のニュースで「タレントの友寄蓮(26)が6/20、自身のインスタグラムを更新。東京・小金井市の西岡真一郎市長と今年春に結婚していたことを報告した。併せて、第1子を妊娠中であることも明かした。」 1969年5/11に武蔵野市で(我々の学年の代表の怪物16松坂大輔投手より11年早く高三でパシフィック&イースタン両L加盟球団ドラフト1位指名18伊良部秀輝投手より六日遅れで)出生、前述の荒川寛と同い年。 小金井市内の小中~都立清瀬高校~一浪し獨協大。19歳のとき、地域活動に熱心だった父親が唐突に市議選に立候補し、落選。それが政治を志すきっかけになった。 1993年23歳の新卒で政権与党・自民党本部就職、政治改革推進本部の事務局長だった清和研(に属し実は木曜クラブ内の創政会会長→<現在の平成研>経世会旗揚げ竹下登と内通&北朝鮮シンパ)武村正義に心酔。 しかし、同年6/18に宮澤改造内閣不信任案可決で武村正義グループが集団離党して新党さきがけ結成したが、西岡真一郎自身は行動共にせず 与党・自民党本部職員として衆院選携わり、野党さきがけ前職・武村正義候補が再選目指す滋賀全県区にも(業務の一環とはいえ)足を踏み入れた。 政権失う直前の与党・自民党本部の24歳の新入職員と政権交代目前で初入閣控えた野党党首とはいえ、敵対関係(笑) 本当に武村正義に共鳴しているなら、6/18武村正義が離党した当日に、自身も無断欠勤・職務放棄してでも追随して、6/21さきがけ結成記者会見に参加→さきがけ選挙ボランティアすべきだ! 投票日7/18東京駅で武村正義に直訴して、野党転落・自民党本部退職→政権与党・さきがけ本部職員に。 96年衆院選直前さきがけ分裂(=旧民主党結党)後も残留→退職、28歳で無所属・さきがけ推薦で小金井市を含む衆院東京18区選出の(さきがけ出身)旧民主党代表・(日本人拉致実行犯たる北朝鮮工作員シンガンス釈放嘆願書に署名~後に国旗国歌法案反対し外国人参政権実現に尽力)韓直人が党代表たる旧民主党の候補者とも戦いながら小金井市議選初当選。 01年(前年衆院選で落選した)前議員・武村正義は民主党入党したが、自身は民主党入党せず民主党幹事長・韓直人と決して協力関係ではなかった。 それどころか、韓直人が最大野党党首=民主党代表=ネクスト首相だった03年衆院選直前に 自民党・鳩山邦夫元文相が「私の政治遍歴を考えれば、元々の選挙区である東京2区(中央、文京、台東区)から出ることはできないと考えた」「韓さんは好きな政治家で十分に評価しているが、政権を担ってもらうわけにはいかない。一番やりがいがあるのは18区だ」「あのような人物を一国の首相にするわけにはいかない」と述べ国替えしてきた際は全面的に鳩山邦夫元文相支援(邦夫元文相は比例上位優遇で再選し05年8/8郵政解散直後に実母<旧姓石橋>安子さんの実家ブリジストンの城下町・福岡6区国替え)。 邦夫元文相全面的支援し韓直人潰しに動いた一年数か月後の05年1月(西岡真一郎自身は無所属現職として小金井市議選3連続当選に向けて準備の最中)韓直人から誘い受け民主党新人として都議選出馬決意し同年夏に都議会初当選~2009年再選~2013年落選。 2010年6月韓直人新首相誕生時に西岡真一郎は自身のブログにおいて 「絶対にあきらめない姿勢で政治や市民運動に取り組んでこられた韓首相の長い長い歴史を振り返り、韓首相が歩いてこられた道程や想像を絶するほどのたゆまぬご努力に心の底から感銘するとともに、この瞬間に立ち会えたことに大きな感動をいただきました。 さあ、これからが、いよいよ本番です! これまでの長い長い間の自民党・官僚主導政治による政策遂行によって著しく衰退した我が国日本を、新しい日本に創り上げていく大きな取り組みが始まります。それは、もちろん、民主党のためでもなく、選挙のためでもない、この世に生まれてきた私達全ての日本人とこれから生まれてくる将来世代の未来のための大仕事です。政治家や政党が、何のために、誰のために存在しているのかとう根本的な柱の部分で、多くの国民から政治への不信を招いてきました。失われた政治への信頼を取り戻すことも重要です。これまで、韓首相の強烈な信念、一歩も引かない揺るぎない強い精神力と決意、理論的な頭脳で導かれる韓首相特有の決断力を目前で見て参りました。この韓首相特有の個性と志、政権の理念を旗印に、チーム韓、韓内閣・民主党政権で、国難に立ち向かい、日本を真に再生させるための本格的な政治的大事業に果敢に挑むことになると確信しています。また日本のかじ取りにおいては、政治を志した時からの理念、さきがけを経て、民主党を結党した時から練り上げてきた政策や政権戦略を存分に発揮していただきたいと念願しています。韓首相との出会いは、私が、新党さきがけ本部職員時代に新党さきがけ入党された時以来ですから、すでに16年になります。今日、韓首相が誕生したことに際し、このブログでは、お伝えきれないほど、様々な思いが湧き出てきます。とにかく、今の日本の閉塞状況を打破し、日本を再建し、何よりも国民のために懸命に仕事をする本格政権を創り上げていただきたいと心の底から願っていますし、必ず前進すると信じています。暫定政権や選挙管理内閣などは全く必要のないものであります。そのためには、七月の参議院選挙での民意が極めて重要な通過点となります。 韓首相には、日本の政治の歴史を、良い方向に大転換させる取り組みに専念していただき、我々は、韓首相の地元でしっかりと役割を担っていくと決意する一日でありました。」 「昨日の韓新首相の誕生を受け、今日も多くの市民の方々から各地でご激励をいただきました。ただ、正直に今の私の気持ちを申し上げれば、韓直人衆院議員が30年来の地道な活動を積み重ね、首相に就任することを心の底からとても喜んでいるのですが、それ以上に、これまで以上に気を引き締めていかなければ、何としても政治への信頼を回復しなければ、同じことの繰り返しにならず責任をしっかりと果たしていただきたい、という言わば緊張感のような思いのほうが圧倒的に強い気持ちであります。最も厳しい状況下において決断された韓新首相の覚悟と決意が日本を動かし始めるよう、私は、都議会や地元の小金井市での己の本分を精一杯に全うすべく、毎日修行の精神で、日々努力あるのみ、です。韓・民主党政権をさきがけ魂で本格政権へ、来週の八日にも発足する国民のために仕事をするチーム韓(韓内閣)の誕生を大いに期待しています。」 明らかに、西岡真一郎の政治経歴と矛盾・整合性欠落の文章だ! 本当に韓直人を支えるのであれば、正に中選挙区時代から韓直人が選出されている地域の地元住民なのだから、社民連幹部時代の韓直人の事務所出入りしてお手伝いすべきであろう。 無所属の自治体議員として距離置くどころか、対立候補=エスタブリッシュメントの典型的な例の自民党初代総裁の鳩山一郎元首相の孫の邦夫元文相に対する全面的支援、即ち韓直人潰しまで取り組んだのに(笑) 三名とも河村に勝るとも劣らぬ支離滅裂ぶり。 政治家(同志望者、周辺の人物=政党職員&国会議員事務所スタッフであっても)の言葉・発言、絶対に軽い物であってはならないハズ。 幼い頃から塩路一郎&黛敏郎両氏を信奉し(後に九段高校の大先輩)極左イデオロギーに蝕まれた売国政治家・横路孝弘弁護士反面教師に祖国日本真剣に愛しヤマト民族の誇り重んじ御皇室の弥栄祈る臣民たる日本国民のあるべき姿追求し幼稚園や小学校の大先輩の石原慎太郎元運輸相以上に右翼的なタカ派の政治家目指した俺自身の座右の銘でもある有言実行・首尾一貫・初志貫徹・百折不撓する事の重要性を改めて感じさせてくれた反面教師。
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