平成の怪物18松坂大輔投手、横浜高校3年の快挙から23年後の現役引退

一昨年令和元・2019年オフに13年ぶりに高卒新人時代過ごした西武ライオンズ復帰した平成の怪物18松坂大輔投手と同じ昭和55・1980年夏に出生の同じ日本人男子プロスポーツ選手たる事を心底誇りに存じる俺は、七年前の2014年から東京都羽村市に住民票置いている。衆院東京25区や定数2都議会西多摩選挙区の有権者でもある。

松坂投手は今季限りで現役引退。

10/19本拠地西武ドームでの(高校三年の1998年ドラフトでも競合し1999年4/7東京ドームでの18歳の高卒新人・松坂投手が日本プロ野球レギュラーシーズン初登板初先発初勝利時点の対戦相手でもある)日本ハムファイターズ戦で引退試合として先発登板、復帰後初登板の機会を85辻発彦監督&74西口文也投手コーチ<当時>に与えられた。(松坂投手より15年早く同じく高校三年で西武ライオンズにドラフト一位指名され即戦力高卒新人となり同じくパリーグ最多勝三度獲得し同じく七年目24歳で開幕投手務めたシーズンにゴールデングラブ受賞の渡辺久信GMは松坂投手に対し85辻発彦監督の下で来季のコーチングスタッフとしての入閣を要請も、松坂投手自身は固辞したようだが・・・)

俺自身バックネット裏で生観戦。

初回表、相手一番DH8近藤健介選手(横浜高校の13年後輩)の一人限定、五球投げ最速118㎞/h、与四球で降板。試合後、西武ドームのグラウンドを1周しながらファンに笑顔であいさつしていた松坂投手の目に飛び込んできたのは、最後まで偉大な先輩の姿を目に焼き付けようと日本ハムベンチで引き揚げずに拍手を送っていた横浜高4人衆と目を真っ赤にした相手の指揮官80栗山英樹監督<当時>。 照れ笑いを浮かべながら5人とガッチリ握手を交わすと場内の拍手が一段と大きくなった。

 本日、西武ドームにて引退セレモニー開催。観客として参加。

サプライズゲストとして、松坂投手と同じく98年夏の甲子園沸かせ数か月後のドラフト会議で1位指名37石堂克利投手の愛工大名電高校の七年先輩、松坂投手が高卒新人時代から幾度となく日本プロ野球パ・リーグやMLBア・リーグのレギュラーシーズンで対決し名勝負を繰り広げ、日本プロ野球の球宴ではオールパシフィックのWBCでは日本代表のチームメイト、現在は学生野球指導者として後進の指導取り組む鈴木一朗さん(=51イチロー外野手)も登場。花束を手渡して日米通算23年間の現役生活をねぎらった。

松坂投手の引退挨拶

まずはこのようなセレモニーを用意していただいた球団関係者の皆様ありがとうございます。そして、西武ドームまで足を運んでくださったファンの皆様ありがとうございます。

僕は今シーズン、きょうをもちまして23年間の現役生活から引退します。

野球と一緒で物覚えが悪いので紙を見ながら話してもいいですか。

2006年のポスティングでアメリカに行くときに、ファン感謝デーの日だったと思うんですけど、選手会長だったということもあり最後に挨拶する機会があったんですけど、やっぱりこの場に立つとですね、忘れちゃうんですよね。

なので同じ思いはしたくないので、しっかり自分で考えた文章をですね、紙を見ながら話をさせていただきたいと思います。

野球を始めたときから応援していただいている方、ライオンズに入団してから応援していただいている方、けがをしてから応援していただいている方、沢山の方に支えてもらいました。

本当に長い間ありがとうございました。

僕の現役時代の原動力は、応援していただいている方に喜んでもらいたいと思い頑張ってきました。

「one for all,all for one」ということばがありますが、「one for all.1人はみんなのために」、僕はこのことばを胸に刻み、投げ続けてきました。

僕が投げてきたことで、少しでもファンの方が喜んでくれたり勇気やパワーを送ることができていたのなら、こんな姿になっても、まだまだ投げ続けたいと思いながらやってきて本当によかったと思います。

小さいころから投げること、打つことが大好きで、引退する直前までもっと投げたい、もっとみんなと勝ちたいと思っていた僕ですが、最後は普通に投げられなくなるまで野球を続けることができて本当に幸せでした。

プロ生活の後半は故障ばかりでしたけど、僕を産んでくれ育ててくれた両親に感謝しています。

小さいときから、常に僕と比較され、苦しい時期を過ごしたこともあった弟にも感謝しています。

若いときから引退するときまで、僕のわがままを許してくれた、妻、子どもたちにも感謝しています。

妻のお母さん、天国で見守ってくれている妻のお父さんにも感謝しています。

ただ、ここまで来る中で沢山の方に、沢山の不満や迷惑をかけてきたことも事実です。改めて申し訳ありませんでした。

こんな僕に投げる場所を与えてくれたライオンズ、ホークス、ドラゴンズ、レッドソックス、インディアンス、メッツ、そしていつも僕の気持ちを奮い立たせてくれたファンの皆様、感謝しています。ありがとうございました。

そして、これからもプレーしていく選手の皆さんへ。

誰でもいつかやめる日が来ます。選手の時間は無限ではありません。

悔いの残らないように日々を過ごしてください。

引退試合の時にも言いましたが、トレーニング、体のメンテナンスには十分お金をかけてあげてください。

それがいつか自分にいい結果として返ってくるはずです。

もしそれが結果に結びつかなかったとしても、一生懸命考え、実践したことは、無駄にはなりません。

23年間やってきた中で、沢山の嬉しい経験、悔しい経験をしてきましたが、いつでも悔しい経験のほうが強く残っています。

その悔しい経験をばねに僕は挑戦してきました。

それは自分で自信をもって誇れる部分だと思っています。

今の結果に満足している選手は誰1人としていないと思いますが、そのときそのときの結果に満足することなく、うれしい経験、悔しい経験を沢山積み重ねて信念を持って上を目指していってほしいと思います。

その経験、思いをこれからの世代に紡いでいくことができれば、またライオンズの黄金時代がやってくるのではないかと思っています。

これからは1人の野球ファンとして埼玉西武ライオンズの明るい未来を楽しみにしています。

最後に改めて23年間、長いあいだ支えていただき、前に進むために背中を押していただき、本当にありがとうございました。

 99年5/16に西武ドームで当時(1954年ライオンズ即戦力高卒新人、21東尾修投手が松坂投手より30年早く高三でドラフト一位指名された1968年も即戦力高卒新人だった1969年もライオンズでコーチだった)72仰木彬監督率いるオリックス野球クラブの主砲だったイチロー選手は高卒新人・松坂投手と初対戦し、3三振を喫した。

この試合で、松坂投手が試合後のヒーローインタビューで「今日で自信から確信に変わりました」という明言(名言?)を生み出し、日本プロ野球史に残る名勝負として語り継がれている。

両者がファン投票選出され西武ドームでの第1戦先発出場の同年のオールスターゲーム直前7/6神戸で九回裏にイチロー選手は松坂投手から中越ソロ~通算100号本塁打。

横浜高校時代の渡辺元智監督(当時)、WBC日本代表として共に戦った89王貞治&83原辰徳両監督、そしてホークス時代の81工藤公康監督(当時)、高卒新人時代バッテリー組んだ12歳上5中嶋聡捕手(現在はオリックス監督)多くの恩師からのビデオメッセージを笑顔で見ていた松坂投手。

その後、同い年の親友の俳優の妻夫木聡(40)がサプライズで登場し熱い抱擁を交わした。

続いて球場に登場したのは、恩師。

98年ドラフト会議で志望球団を同年38年ぶりレギュラーシーズン最高勝率⇒日本S制覇の72権藤博監督率いる横浜ベイスターズ一本に固めていた松坂投手だが、西武ライオンズ&日本ハムファイターズとクジを引いた三球団の中で交渉権を引き当てたのは当時〝意中外〟西武ライオンズ78東尾修監督だった。入団発表記者会見から現在に至るまで変わらぬ師弟関係を築いてきた。「心残りは、やっぱりライオンズに入団した時に(当時監督だった)東尾さんに200勝ボールをいただいたので、自分自身が200勝をしてお返ししたかったなと思います」と振り返った。

「意中外だったら社会人」を決めていた松坂投手を最終的に翻意させた切り札として、東尾監督は自らの200勝ボールをかたくなな超高校級右腕に手渡し入団へとこぎつけた。

花束を手に照れくさそうに松坂投手の元へ駆け寄ると、花束を持ったまま記念撮影のカメラの方を向き笑顔。途中でそのことに気づき、松坂投手に何か突っ込まれながらニコニコと花束を渡した。この微笑ましい光景にメットライフに駆け付けたファンから大きな笑いと拍手が沸き起こった。 そして「大輔、お疲れさま。今、映像で渡辺監督が言ったことを聞いて、良かったと思った。(高卒新人時代から)ちゃんと軌道に乗ってくれて…ホッとした」と23年間の「平成の怪物」の活躍をねぎらった。続けて「一つ、あなたが私に対して、約束がはたせていないもんがありますよね?分かっていますよね、何か。あのボールの件ですよね。ね。だから、一つまた新たな約束をしてほしいです、僕は。今度はぜひ破らないように。大丈夫ですか。はっきり、大丈夫ですか?今度は守ってくれますか、じゃあ」と詰め寄る。苦笑いの松坂投手は「いや、あの内容にもよるんですけど」と返すと、場内は大爆笑。すると東尾監督は場内のファンを巻き込みながら「ファンの皆さん、耳を澄まして聞いてください。大輔、今度帰ってくる時は、ライオンズのユニホームしか着ちゃダメだぞ!どうですか皆さん」と声を上げ、ファンも大きな拍手で賛同。「大輔自身の口から、守りますと言ってください」と畳みかける東尾監督。「こればっかりは、僕がやりたいといっても来れるわけではないんで…」としながらも「またライオンズに声を掛けてもらえるように、またこれからももっと野球を勉強して、戻ってこれるように努力します」と“約束”した。 松坂投手は「昨日も別の仕事で一緒だったんですけど。全くそんな雰囲気出してなかったですね。お疲れーとか言ってサッと帰っちゃったんですけど。うまいなー。やっぱり東尾さんのピッチャーとしてのバッターに悟られない姿というんですかね。それをすごく感じましたね。やっぱり東尾さんの顔を見ると、一気に高卒新人の年に引き戻されるというか、高卒新人のときの記憶が蘇ってきますね。マイクパフォーマンスですか?あれも東尾さんらしいなと思いました。すごくうれしかったです」と語った。 98年の入団発表記者会見に手渡された“約束の200勝ボール”。200勝した時に返すという約束は守れなかったが、松坂投手と東尾監督の師弟物語、200勝ボールの約束の続きが楽しみだ。

一つの時代が終わった。 しかし、日本・アジア・世界の野球界の至宝。投手とDH指名打者or代打との二刀流、俺は松坂投手こそが相応しい、と思っていた。類稀なバッティングセンスと勝負強さ兼ね備えた事は言うまでもない。横浜高校時代、ダントツでNo.1の豪腕エースと同時に、主砲として打棒爆発させハマスタ・神宮・甲子園沸かせた輝かしい実績。もう一度打席に立って打棒をふるう姿見たかった。

フィールディングも優れ、高卒新人時代からのポスティングシステムでMLB挑戦まで8シーズン中、資格を得ていた=規定投球回数到達の7シーズン全てでゴールデングラブを獲得した(02年のみ投球回・試合数の不足のため同賞の有資格者ではなかった)。MLB時代は2014年までの通算守備防御点-9を記録している。横浜高校時代の恩師・小倉清一郎野球部長との対談で高校時代に小倉部長がフィールディング、牽制、クイックなどを徹底的に仕込んでくれたからプロ入り後は投げるだけに専念すれば良かったと答えており、小倉部長に感謝している。

高卒二年目の00年8/7には神戸でのオリックス戦6-3とリードした九回表2死満塁の場面で東尾監督に代打起用され中嶋捕手のバット借りて敗戦処理61栗山聡投手からプロ初打席で適時打も。四年目の02年<83年日本S第7戦フルイニングマスクで東尾投手救援勝利アシスト以来不動の司令塔で前年オフ東尾監督及び77佐々木恭介ヘッド&73伊原春樹作戦両コーチ退任で堤義明オーナーからの新監督就任要請辞退し現役続行で総合コーチ兼任=事実上の助監督&次期監督>先発バッテリー組む27伊東勤捕手の期待に応え札幌ドームでの開幕戦完投勝利含め六連勝でレギュラーシーズン最高勝率貢献し初のポストシーズン=巨人の本拠地東京ドームでの日本S第一戦では先発九番ではなく七番起用(二回表に先頭六番23平尾博司三塁手が二塁打で出塁し得点圏で自身は相手先発・雑草魂19上原浩治投手に外野邪飛に討ち取られ24高橋由伸右翼手捕球)、後に自身も移籍するドラゴンズとの04年日本Sでは第2・6戦の二度に渡りナゴヤドームで15歳上34山本昌投手と先発同士で投げ合い九番打者として合計6の2・0打点・3三振。ポスティングシステムでMLB移籍直前の06年6/9甲子園での阪神との交流戦では二番手59ダーウィンクビアン投手からバックスクリーンに特大ホームラン(同試合で14奪三振で1失点完投勝利)。元来打撃が好きなことを公言しており、日本プロ野球高卒新人時代から八年間は気分転換もかねて打撃練習もトレーニングに取り入れていたが、高卒九年目&MLB移籍一年目の07年はインターリーグ時でしか打撃練習を許されなかった。6/10相手本拠地チェイスフィールドでアリゾナダイアモンドバックス51ランディジョンソン投手と先発同士投げ合い九番打者で2打数2三振(6回9奪三振で被安打4自責点2の敗戦)6/22相手本拠地ペトコパークでサンディエゴパドレス30グレッグマダックス投手と先発同士で投げ合い九番打者で2打席連続内野ゴロ(6回9奪三振で被安打5自責点1の勝利)同年のレギュラーシーズンは無安打。<守護神42マリアーノリベラ投手や北陸のゴジラDH55松井秀喜選手擁するNYヤンキースを凌駕し>アメリカンL東地区最高勝率・地区S制覇・リーグチャンピオンS制覇に大きく貢献し同年10/27相手本拠地クアーズフィールドでのワールドシリーズ(第三戦)生涯唯一の出場=先発登板、九番打者として満塁の三回表二死場面で相手先発37ジョシュフォッグ投手から二点適時打=ボストンレッドソックスのピッチャーがワールドシリーズで複数打点はDH制導入後は初めて(その試合で5回1/3投げ自責点2)現在に至るまで史上唯一の日本人先発勝利、奪三振5の一つが対戦相手<ナショナルL西地区2位でパドレスとのワンゲーム・プレーオフ制しワイルドカードでポストシーズン進出>コロラドロッキーズの一番打者としてフルイニング出場し初回裏安打で出塁<松坂投手と98年春夏甲子園投げ合ってU-18日本代表で共に戦った大親友PL上重聡投手の五年先輩であり高卒新人時代からチームメイト>7松井稼頭央二塁手。日本プロ野球復帰4年目で80森繁和監督率いるドラゴンズ移籍間もない18年5/20ナゴヤドームでの阪神戦で相手先発35才木浩人投手から3打数2安打0打点のマルチヒット達成(6回7奪三振で自責点1で先発勝利)それから4か月弱経過<オールスターゲーム・オールセントラル先発投手部門ファン投票選出や第一戦先発経て>9/13には再び甲子園で才木投手と先発同士で投げ合い三振含め3の0も5回4奪三振で同シーズン6勝目でカムバック賞受賞を確実に。実は自身の38歳の誕生日、それより丸20年前98年9/13の18歳の誕生日も第三回AAAアジア野球選手権大会決勝で中村順司監督指揮する日本代表のエースとして先発登板しDH張誌家擁するチャイニーズタイペイ代表相手に1失点完投勝利。当時俺は千代田区在住で四谷ゼミナール大検コース在籍し帝拳ジム練習生で名伯楽・桑田勇先生の不肖の弟子だったが、その日は日曜日で夜行バス乗って現地観戦。

(王会長&工藤監督率いるソフトバンクホークス時代の一軍登板は移籍2年目06年10/2宮城での星野仙一副会長・99梨田昌孝監督・92与田剛投手コーチ率いる楽天イーグルスとの最終戦で8回裏敗戦処理4番手で被安打3、与四死球<松井選手に直撃含む>4、暴投1の5失点、自責点は2と炎上した一度のみだった)

プロ入り七年目05年は交流戦元年でもあった。自身初の交流戦登板は5/11本拠地でドラゴンズ相手に11奪三振の完封勝~丸一週間後に中六日で甲子園で松坂世代の東舞鶴⇒龍谷大4年02年日米大学野球日本代表経て逆指名でタイガース18杉山直久投手と投げ合い11奪三振記録も二回裏6番ライト24桧山進次郎に2ラン浴び自責点3敗戦投手(3打数無安打・1三振、8回裏は代打60中村剛也送られた)

ワールドシリーズ制覇の翌春のMLBレギュラーS開幕戦(アメリカンLだからDH採用)は東京ドーム開催でボストンレッドソックスの開幕投手に抜擢され同じく当時27歳オークランドアスレチックス55ジョーブラントン投手と5回終了まで投げ合い自責点2奪三振6、勝利投手の権利を得たまま降板も直後に一時的に逆転され権利消滅、結果的に勝利に貢献し試合終了直後に救援勝利37岡島秀樹投手と共にお立ち台でインタビュー。

俺個人的に最も悔やまれる事は、高卒新人時代に東尾監督率いる西武ライオンズがレギュラーシーズン二位で三年連続最高勝率=日本シリーズ出場逃し、横浜高校18年先輩(=星野監督率いるドラゴンズの代打の切り札)9愛甲猛選手との対決を大いに期待していたが、幻に。ナゴヤドームでのビジターゲームでも打席に入り(燃える男・星野投手の背番号継承し同じセリーグ・セーブ王経験者、愛甲選手と同い年)韓国球界の至宝&竜の守護神20宣銅烈投手との対決見たかった! 松坂投手自身が10/19記者会見で述べた「諦めの悪さ」、すなわち執念、素晴らしい!再び勇気やパワーをもらった!

日米通算勝利数は170勝(108敗2セーブ3ホールド、奪三振2130)で現役生活にピリオドを打った。

俺自身もボクサーとしては大変高齢だが<同じアジアのWBC加盟国組織たるローカルコミッション認定のナショナル王者同士の>WBU暫定世界タイトル決定戦実現に向けて、奮闘していきたい。

俺は今から13年後の令和16・2034年9/25ボクサー現役引退表明、その日で年男36歳でアマ選手卒業&プロ転向表明から丸18年。

俺という男は、 座右の銘:有言実行、初志貫徹、首尾一貫、百折不撓、 性格:「出来もしない事は口にしない&守れない約束は最初からしない」徹底。

なお松坂投手と高校3年間同じクラスだった生徒にミドル級全日本高校ボクシング王者の河井了さんがいる。河井さんは同窓の(自身と同じく中学時代から神奈川渥美ジムの前身カワイジム練習生、後の東日本ボクシング協会代表)大橋秀行がオーナー、松本好二がチーフトレーナーたるジム所属で99年8月、高校の6年先輩(大橋・松本と同じくヨネクラジムの看板)保住直孝さんをメインとするテレビ朝日「エキサイトボクシング」でデビュー。松坂がVTRで激励しKO勝利。同時期に松坂投手は前世界王者で返り咲き目指していた辰吉丈一郎さんとサイン色紙交換、6年後に西武の高知キャンプで同い年(前述のサイン交換時の辰吉さん同様に西日本協会加盟ジム所属でJBC・A級ボクサーライセンス発給されWBC世界バンタム級王座挑戦控える)長谷川穂積さんと親友となる。