走れ! 西へ東へ

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「そういえばこの人最近見ていなかったなと思っていたけど、そういうことだったのか」。新聞やテレビ、ラジオで著名な人の訃報を聞くとそういう感想を抱きます。今回もそうでした。

日本テレビの河村亮アナが14日に脳出血で54歳の若さで亡くなりました。3月2日のオープン戦中継が最後の出演で、その後は肝臓の具合が悪くなって療養していたとか。確かに、この人の声をしばらく聴いていませんでした。でも、理由まではわからなかったので訃報で経緯を知って驚きました。文化放送のアナウンサーだった松島茂さんの訃報を知った時も同じような驚きを覚えました。ただ、それ以上の驚きが河村さんの時はありました。河村さんの訃報が17日付のスポーツ報知の1面になったのです。1人の局アナの訃報がスポーツ紙の1面になるなんてこれまであったでしょうか? 長らく巨人戦中継に携わり歴代の選手・監督など巨人軍関係者から全幅の信頼を得ていたというし、箱根駅伝やゴルフのメジャー大会でも印象的なフレーズを残してきたなど功績を関係者からの証言を含めて紹介していました。

河村さんといえばスポーツでは朗々とした人物描写とエキサイトしたシーンでのテンションのギャップが印象的な人でしたが、バラエティでは冷徹に出演者へ無理難題をつきつけるシーンが記憶に残っているという方がいるかもしれません。90年代の終わりから2000年代の初めにかけて放送された「ウッチャンナンチャンのウリナリ!」で審査委員会からの使者という役回りでタキシード姿の河村さんがウッチャンナンチャンやキャイーンといった出演者に無茶ぶりをしていました。特にブームを呼んだポケットビスケッツとブラックビスケッツには「なにくそ!」と思わせるような無茶ぶりをしていたと記憶しています。見事無理難題をクリアできたら河村さんは悔しがることなく一緒になって喜んでいましたよね。放送当時、河村さんを鬼のように見ていた人もいたかもしれませんが、番組の陰の功労者と言った方がいいだろうと思うのは私だけでしょうか? たくさんの思い出ありがとうございます。そしてご冥福をお祈りします。

では、また次回です。
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