インディ500で4勝したアル・アンサーが82歳で逝去








レース界の名門、アンサー家での2人目のインディアナポリス500優勝と、史上2人目となるインディ500通算4勝目を達成したアルフレッド”アル”アンサー(アルSr.)が現地12月9日に82歳で亡くなりました。



アルSr.はこの17年間の癌との闘病生活ののち、ニューメキシコの自宅で亡くなったということです。



アルSr. は1939年5月29日、ニューメキシコ州のアルバカーキで4人兄弟の4男として生まれ、親の世代や兄弟の影響を受けモータースポーツの世界に足を踏み入れました。



そのアンサー家と言えば、これまでのレース界で最も成功したファミリーと言っても過言ではないでしょう。インディ500では総勢7名のアンサーが、1940年以来9回のインディ500制覇を成し遂げた他、6度ものシリーズタイトルを獲得しています。



そのアンサー家のレース活動のルーツは1932生まれのジェリー・アンサー。ジェリーはアルSr.の父で、2人の弟、ジョールイスとともにレースに参戦してきました。彼らは主に地元コロラドでのビッグイベントのパイクスピーク・ヒルクライム(パイクスピーク登山道路を駆け上るタイムアタックイベント)に挑戦しつづけ、弟のルイスは通産で9勝を挙げる大活躍をみせました。しかし、その世代の兄弟はジョーが1929年にコロラドでのテスト走行中に事故死し、ルイスが1940年にインディ500のテスト走行をするものの、決勝レースに出場することはありませんでした。



ジェリーの子供には双子のジェリーJr.、ルイスボビーアル(アルS.)の4人がいて、みなレーシングドライバーとなりました。長男のジェリーJr. が初めてインディ500に挑戦したのは先代が走ってから18年後の1958年。しかし、ジェリーJr.も双子の弟のルイスもレーサーとして成功すること無く一線から去ることになります。三男のボビーと四男のアルSr.は、おじである初代ルイスの下で修行を積み、パイクスピーク・ヒルクライムで頭角を現し始めます。



その結果、ボビーはパイクスピークで通産7勝を挙げてインディカーにキャリアを移し、それと入れ替わるようにアルSr.もパイクスピークを2回制してアンサー家通算17勝目を記録。コロラド・ロッキーの名峰、パイクスピークを「アンサーズ・マウンテン」と言わしめました。



インディカーレースでのアンサー家初代となるボビーとアルSr.は、インディ500においてもその並外れた才能を早くも開花させます。初挑戦から3年後の1968年にボビーがアンサー一族としてインディ500初優勝。ちなみにアンドレッティ家の初優勝はその1年後のマリオ・アンドレッティでした。



その翌年に、今度は弟のアルSr.が初優勝を果たすと次の71年に連覇を成し遂げ、たった4年でアンサー家は3度もビクトリーレーンに足を踏み入れるという勢いを見せました。その後もさらにアンサー家の快進撃は続き、1975年にボビーがインディ500の2勝目を挙げると1978年インディ500でアルSr.が3勝目を挙げ、それに追いつけとばかりにボビーも1981年に3勝目を挙げました。



ボビーはその年限りで現役を引退し、アルSr.だけが残りましたが、その2年後には新たなアンサー家の一員が登場。アルSr.の息子で「リトル・アル」と呼ばれるアル・アンサーJr. がインディ500に21歳でデビュー。これでアンサー家は3世代目となりました。



インディ500での3世代目の登場は、過去にもビル・ブコビッチと息子のビリー、孫のビル3世の記録はあったものの、親子で同一レースに顔をそろえるというのは史上初。アル親子は、その後はシリーズを通じてのバトルを演じ、シリーズタイトルを親子で争った挙句に1ポイント差で父親が制すなど、親子対決はレースを大いに盛り上げました。



アル・アンサーは息子のアンサーJr. に対してアルSr.と呼ばれるようになりましたが、1987年には、まだまだ健在ぶりをアピールする自身のインディ500の4勝目を飾り。AJフォイトと並ぶインディ500最多勝利タイ記録を樹立。



父親が貫禄を見せ付ける中で、息子のリトル・アルは着実に実力を伸ばしていきました。



1989年インディ500ではレース終盤で元F1チャンピオンのエマーソン・フィッティパルディと激しいバトルを展開。ラスト2周のところでクラッシュして2位フィニッシュと優勝に手の届くところまで来ていました。



そして1992年インディ500史上最僅少差での優勝を果たして、速さのDNAは3世代をも遺伝する事を証明。インディ500史上初めて親子2世代での優勝を記録しています。



アルSr.は1993年で現役を引退。Jr.は1994年にもインディ500で勝利しアンサー家にインディ500での通算9勝目をもたらしました。



アルJr. のいとこのジョニー(ジェリーJr. の息子)とロビー(ボビーの息子)も、インディカーレースに参戦。2人ともインディカーレースでは勝利を挙げることはできなかったものの、パイクスピークヒルクライムなどでたびたび勝利(アンサー家通算25勝目)するなどして活躍を見せました。



インディ500でアンサー家は2世代目のボビー・アンサーから総勢7名のメンバーが述べ73回出場。アルSr.は27回参戦して、トータル644周をリードし、これはインディ500史上での最多ラップリード記録になっています。



27回の参戦数はAJフォイトの35回、マリオ・アンドレッティの29回に続く参戦数で、1987年の4回目のインディ500優勝は47歳と350日で最年長優勝記録です。



インディカーシリーズでは1970年、1983年、1985年の3回でシリーズチャンピオンとなり、1978年にはインディアナポリス、ポコノ、オンタリオの500マイルレーストリプルクラウンを達成しています。



同世代のライバルだったAJフォイトはダートオーバルでもスムースで洗練された走り見せたアルSr.を「非常にスマートなドライバーだ」と高く評価。マリオも「アルは最もスマートなドライビングをするドライバーで、あの冷静さと忍耐強さは誰にもまねできない」と評していました。



今年の5月2日にはインディ500で3勝を挙げた実兄のボビーが87歳で亡くなったばかりでした。

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