50年間にわたってインディ500とインディカー他、アメリカで様々なモータースポーツを取材してきたベテランジャーナリストのロビン・ミラー氏が、現地8月25日朝にがんのために71歳で亡くなりました。
インディアナ出身のミラー氏は1968年に地元新聞紙のインディアナポリス・スターに入社。以降スポーツ担当記者として2001年まで活躍してきました。
インディカーがIMS主催のインディレーシングリーグ(IRL)とCARTに分裂した時にはCARTを強く擁護してIRLとIMSを批判。それが原因で2001年でインディアナポリス・スター社を離職してフリーランスのジャーナリストとなりました。
その後は記事の執筆以外にもESPNのモータースポーツ情報番組のコメンテイターとして起用されたほか、SPEEDチャンネルやVERSUS、NBCスポーツなどのTV番組で活躍した他、RACER誌をはじめとしたさまざまな雑誌へ寄稿した他、動画サイトのリポーターなど幅広い活躍を見せてきました。
ミラー氏が初めてインディアナポリスモータースピードウェイに訪れたのは父親に連れられてきた1957年。インディ500初観戦は1959年。そして、初めてインディ500に”参加”したのは1968年でジム・ハーチュビスのチームのお手伝いでした。
1970年代にはレーシングドライバーとしてのキャリアもスタート。ベッテンハウゼン兄弟のサポートの下でミジェットカーレースに参戦。1975年には予選中に横転してコンクリートに激突。レースカーはロールケージが裂けるなど大破してミラー氏は頭部を負傷する重傷を負っています。
機械工学の知識が無かったミラー氏はずっと機械音痴のままでジャーナリスト活動を継続。自身のミジェットカーを格納するトレーラーを購入する時も、サイズが合わずに、レースカーがまっすく格納できないトレーラーを購入したという逸話もあります。
2019年には50回目のインディ500取材を記念してIMSは優れた功績を残したジャーナリストに贈るロビン・ミラー賞の創設を発表。この8月に亡くなった元レースアナウンサーのボブ・ジェンキンス氏が受賞しています。
ミラー氏は今年になってアメリカモータースポーツの殿堂入りが決定。無くなる約2週間前の8月13日にIMSを訪れて授賞式に出席していました。
ミラーさんには琢磨選手がロングビーチでインディカー初優勝を記念して作られた「Job Done Tシャツ」を頂きましたが、ミラーさんには許可をもらってレースファンに向けての番組プレゼントとさせていただきました。
「アメリカの二朗さん」は私が命名しました。
重鎮ジャーナリストでピットリポートとなどもこなすスタイルに二朗さんが重なり
ミラー氏の立ち位置がわかりやすいかと思ったからです。
二朗さんとは20年以上もの知り合いなのですが、
もちろん、高橋二朗さん御本人からホモロゲを取得してあります。