ニューガーデンのタイトル獲得を陰で喜ぶサラ・フィッシャー
2017シーズンのチャンピオンタイトルを獲得したジョセフ・ニューガーデンを祝福する紙吹雪が舞うビクトリーレーンにはサラ・フィッシャーの姿がありました。
ダートオーバルの世界でレースキャリアを積んでインディカーに参戦したSフィッシャーは11年間83レースのキャリアで表彰台2回、TOP10 フィニッシュ8回を記録するなど、インディカーでは多くの活躍をみせた女性ドライバーの一人。2008年に自らチームを立ち上げて、出産のために2011年にはチーム運営に専念。その年にはEカーペンターがケンタッキーでチームに初優勝をもたらしています。
そのサラフィッシャー・ハートマンレーシング(SFHR)が21歳のルーキーだったニューガーデンにシートを託したのが2012年シーズン。ニューガーデンはその前年はインディライツに参戦してランキング2位でした。
第3戦のロングビーチでは予選7位ながらも、シボレー勢上位5台がエンジンの交換でグリッド降格となり、急きょフロントロースタートに!これに気をよくしたニューガーデンは急きょパドックで突撃インタビュー。
そのレースではスタート直後のターン1でポールスタートだったDフランキッティに弾き飛ばされて、そのまま最下位の26位でレースを終えています。
その後、4シーズンをSFHRですごし、2015年にチームはエドカーペンターレーシング(ECR)と合併。ニューガーデンは2015シーズンに2勝を挙げてポイント7位にランクイン。
そのニューガーデンをフィッシャーはこう振り返ります。
「彼はダイヤの原石そのものでした。本当に彼は努力家でここまで一生懸命やってきた結果が報われたのだと思います。」
一方でニューガーデンは1台体制でみんなが家族のような雰囲気だったSFHRだからこそ、今日に繋がるさまざま経験が得られたと言っています。
「SFHRは最高のチームでしたが、決して楽な状況ではなかったことも確かです。1からチームを新しく立ち上げて、レースカーも新しいものになり、経験も蓄積もなく、常にギリギリのところでやってきました。自分のことは自分でするしかない状況で、その時の経験が今に大いに役立っています。」とコメント。
フィッシャーは2015シーズン限りでインディカーのチームオペレーションから離れ、夫と共にインドアカート場の経営に専念するようになりました。一方でニューガーデンは2016シーズンはECRからインディカー参戦を継続しキャリア3勝目を上げてシリーズポイント4位にランクイン。
その実績が認められて、ファミリーオペレーションチーム出身だったニューガーデンはトップチームであるペンスキーレーシングに加入。その最初のシーズンにいきなりチャンピオンタイトルを獲得しています。
Sフィッシャーはこれまでを振り返って。「自分が子供をもうけてレースを離れるときもエド・カーペンターと言うオーバルを得意とするドライバーに乗ってもらえて、ケンタッキーでチームにとっても彼にとっても初優勝をすることができました。」すべてが縁で繋がっていると言います。
「資金がなくても勝てる才能があるドライバーなら、なんとか乗せてあげたい。」フィッシャーと共同オーナーだったハートマンはルーキーだったニューガーデンを抜擢。それが今につながっているとフィッシャーはコメント。
「彼がチームに来たときは、まだ法的にビールも飲めない年齢だったのに、そこから彼は立派に成長し、我々チームも一緒に成長することができた。困難を克服するごとに彼は成長して、ついに頂点を極めた姿を見ると本当に誇らしく思います。」
今や36歳となりインディカーのペースカードライブを担当するフィッシャーは自分たちが育て上げた、共に苦労を乗り越えてきたドライバーが頂点を極めたことを心から誇りに感じています。
まさに「育ての親」ですね。