アンドレッティ包囲網を突破せよ!



レース序盤3分の1のほとんどを支配したEカーペンターでしたが
73周目以降のラップリードはありません。

レース中盤でペンスキー勢の3台がラップリードをとりましたが
それも長くは続きませんでした。

そんな中で200周を通じてリードチェンジを展開してきたのが
Mアンドレッティ、Rハンターレイ、Cムニョスのアンドレッティオートスポーツ勢と
KVレーシングのTカナーン。

のこり30周からは完全にアンドレッティ勢の3人対TK一人という構図になっていました。
ペンスキー勢もガナッシ勢もこの戦いには加われませんでした。

1969年のマリオ・アンドレッティの優勝以外で
アンドレッティと名のつく人は誰一人として
ビクトリーレーンに足を踏み込んではいません。

アンドレッティオートスポーツのチームオーナー
マイケル・アンドレッティもインディ500に16回出場し
歴代10位となる431周のラップリードをとりながらも
1991年の2位を最高に優勝はありませんでした。

そんな歴史の中で、
今年もインディ500での勝利に見放されたアンドレッティと
悲願の初優勝をなしとげたTカナーンの明暗は
やはりインディ500ならではの大きなドラマでした。

昨年はあれだけレースを席巻したガナッシ勢は全く振るわず
キンボールの8位が最上位。
今年はプラクティスから好調だったアンドレッティ勢は勝利できず。
インディ500の難しさを再確認しました。

もっとこの物語をレース中に実況であおればよかったと後悔しています。
レース終盤で長いコーションが出てればプリレース中に裏ウケしておいた
「アンドレッティ家のインディ500バッドラック物語」(4分)を流して
もっと煽れたのですが・・・・。

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