イチロー選手引退
2001年、9.11テロのそのわずか2か月後。
当時はGAORAでNASCAR中継をやっていたこともあって、私は週刊オートスポーツ誌で「NASCAR研究会」の執筆を担当していました。
そして、中継の解説もお願いしていた福山さんのたってのリクエストで、GAORAの撮影で取材申請をしてNASCARの現地観戦にアトランタモータースピードウェイに福山さんをお連れしました。
福山さんにとってはこれが初めてのNASCAR現地観戦。NASCAR研究会メンバーの砂子塾長も同行しました。
特番撮影用にビデオカメラを持参して、福山さんと砂子塾長の珍道中の様子を撮影していたのですが、その時に日本のTVが撮影中だと気付いたあちこちの観客から我々に向けて「イチロー!」との掛け声がありました。
決勝レースはグランドスタンドで観戦したのですが、その時も席に着くと周りの観客がイチローの話題で話しかけてきて、「日本にはああいう選手が他にも大勢いるのか?」と質問攻めにあいました。
小柄ながらも器用で俊敏に動くイチロー選手は相当なインパクトをアメリカの野球ファンに与えたようでした。
アメリカ南部のジョージア州アトランタでもイチロー選手のことがこんなに話題になっているとは想像もつきませんでした。
福山さんはこの時にデイルJr.他、NASCAR社長のマイク・ヘルトン氏、鈴鹿参戦時のチームオーナーのトラビス・カーター氏とも面会し、この時の訪問がきっかけで、翌年2002年のNASCARカップレースにつながります。
2001シーズン終わりにNASCAR特番として放送しました。
「福山英朗と砂子塾長のNASCARリポート」と言うタイトルだったかと思います。
90分番組だったか60分番組だったか忘れました。
その年のデイトナ500で亡くなったデイル・アーンハートの息子に
福山さんがどうしても会いに行きたいと言うのでお連れして番組にした次第です。