アメリカ本家の居酒屋実況



アメリカNBCSNでコメンタリーを務めるポール・トレイシー。インディカー通算31勝を記録したトップドライバーの一人でしたが、今やTVコメンタリー役にぴったりとはまっています。

48歳のカナダ人、ポール・トレーシーはそのアグレッシブなレース運びから友達よりも敵の方が多いとも言われてきました。事実過去にはタグリアーニやブルデイとレース中に揉めて、タグリアーニとの殴り合いは生中継もされ、インディカーレース一の悪童とも称されました。

しかし、フランキッティやパワーと並ぶ通算勝利数は伊達ではなく、そのキャリアと実力に目を付けたNBCSNは2014年からトレイシーをTV解説者に起用しました。

トレイシー自身は好き勝手にしゃべっていればこの仕事も長くは続かないだろうと思っていましたが、その遠慮のない率直な解説は多くの人に受け入れられ、今やTVコメンタリーと言うそのポジションを不動のものにしています。

「TV解説の話が舞い込んできたときに、TVスタッフは「遠慮なくやってください」と言ってきた。」とトレイシーは当時を振り返ります。

そのトレイシーもTVコメンタリーを始めた当初は相当戸惑ったといいます。

「時には違った見方になることもある。先日のテキサスのレースでもブロッキングについてもう一人のコメンタリーであるタウンゼント・ベルと意見が分かれた。でも、もう一度別アングルの映像を見ると自分がまちがっていることに気づいた。とにかくドライバー視点でコメントすることに心がけている。」とトレイシーは語っています。

トレイシーが最も活躍を見せたのは、フォーサイスレーシングからエントリーした2003年。18戦中7勝、6回のポールポジションでチャンプカーシリーズのタイトルを獲得しています。

それ以前にも、フル参戦初シーズンとなった1993年はチームペンスキーから参戦して5勝を挙げてタイトル争いを演じたほか。、その後もニューマンハース、チームグリーン、フォーサイスレーシングで9年間にわたってシーズン中で2勝以上を挙げるという活躍を見せています。

しかしながら、過去7回出場したインディ500では優勝がありませんでした。最も勝利に近づいたのは2002年。この時はレース終盤でHカストロネベスをパスしてリーダーになったものの、パスする寸前にイエローが出たとしてそのパスは認められずに2位に終わっています。

そのトレイシーの最後のインディカーレースは2011年のラスベガス。ダン・ウェルドンが命を落としたレースでした。

最初にTVコメンタリーのオファーが来たときはあまり乗り気ではなかたと言うトレイシー。

「レースを離れてすぐにTV解説者になれば、もうレースには戻れなくなってしまうのではないかと思った。でも、数年後にはこれでやっていこうと思うようになった。今はすごくTV解説を楽しんでいる。そして毎回レーストラックに足を運んでファンたちと会うことも楽しい。」と語っています。

我々もときどき生中継中にトレイシーの意見を紹介したりしています。
そんなトレイシーのコメンタリーはIndycar公式YouTubeに毎レースアップロードされています。

4件のコメント

  1. バーバーの放送ブースでアロンソとの画が流れたとき、村田さんの「隣の方すぐ人を◯りますよってアロンソに教えてあげたほうがいいんじゃないですか?」には吹きました…。トレイシーを考えるとベッテルのサイドプレスが可愛くみえます。よね
    1. cfさんへ
      トレイシーが「すぐ殴る」というのは大きな誤解です。
      あの時はタグがしつこすぎました。
      トレイシーが散々「触るな」と言っていたのにつかみかかっていったのはタグの方です。
  2. yeah.understanding.and…we need just like him for mortorracing. you and i miss him. i know

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