ファイアストンのDハリグル氏がインディカーの現場を後に



ファイアストンのチーフエンジニアであるデイル・ハリグル氏は22年のインディカーの現場で仕事を果たしてきましたが、先週のソノマを最後にインディカーの現場を離れます。

1994年からレーシングタイヤを担当してインディカーの現場にいましたが、今後は市販車部門に異動となります。

ハリグル氏はソノマでのレース終了後に全ドライバーのサインが入った記念の額が同僚から贈呈されました。

ハリグル氏がファイアストンタイヤに配属された1994年当時は翌95年からのインディカー参戦復帰準備の真っ最中で「当時は全く先が読めない状況だった。」と語っています。

ファイアストンは1975年にインディカーでの活動を休止し、20年間のブランクを経て1995年シーズンにインディカーシリーズに復帰。パトリックレーシングのスコット・プルーエットがミシガンインターナショナルスピードウェイで最終ラップにAアンサーJr.をパスしてファイアストンに復帰後初優勝をもたらしています。

翌1996年はインディカーシリーズとCARTシリーズにタイヤを供給し、インディ500ではバディ・ラジアが優勝して1971年にアル・アンサーSr.が2勝目をあげて以来の勝利をファイアストンにもたらしました。

今後はピックアップトラックやSUVなどの市販車タイヤを担当するハリグル氏ですが、「信号機が2つしかないようなペンシルバニアの小さな町の生まれだったのに、この仕事について日本やブラジル、ヨーロッパやオーストラリアにも行き、ファイアストンやインディカーでの仕事はスタッフにも恵まれ素晴らしいものであった。」と語っています。

ハリグル氏には何度か現場でインタビューしていますが、奥様は名古屋出身の日本人だそうで、親戚の皆さんはGAORAを見ていると伺っています。

長らくお疲れ様でした。

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