上の写真、ミルウォーキー戦のNBCSNのオープニング画面にあるのを再発見しました。
おそらく1935年のミルウォーキーマイル。
左はドライバーのレックス・メイズ。その隣はライディングメカニックのヒラシマ・タケオ(Takeo ‘Chickie’ Hirashima)さんです。
ヒラシマ”チッキー”タケオさんは1912年カリフォルニア州グレンデール生まれの日系2世。手先の器用さと小柄で軽い体重が認められてトップ・ドライバーだったレックス・メイズのライディングメカニックに起用されて、1935年のインディ500ではポールポジションを獲得しました。
レースでは89周をリードするもののサスペンショントラブルで17位に終わっています。
ヒラシマさんはその後は1946年に戦後再開後初めてのインディ500でジョージ・ロブソンのチーフメカニックとエンジンビルダーを務めて見事優勝しています。
下はヒラシマさんがビクトリーレーンに立った当時の写真です。ドライバーの右側に立つのがヒラシマさんです。(クリックで拡大)
Photo:IMS
その後もトップエンジンビルダーとして活躍し、1955年56年59年60年のインディ500でヒラシマさんがチューニングしたエンジンを搭載したレースカーが優勝し、その腕前は”マジックハンド”と呼ばれたそうです。
下は1960年インディ500を優勝したジム・ラスマンとその左にヒラシマさん。(クリックで拡大)
Photo:IMS
戦時中は強制収容所に入れられ,日系アメリカ人で構成された第442連隊戦闘団に入隊。ヨーロッパ戦線に派兵されるなど、厳しい時期を過ごしたそうですが、1998年にはインディアナポリスモータースピードウェイの殿堂入りを果たしています。
1998年にはテレビ朝日のディレクターとして現地にいましたが、ちょうどヒラシマさん殿堂入りの発表が行われ番組内で取材した覚えがあります。
追記:
すがやみつる先生がヒラシマさんを論文のテーマにしているのを発見しました。
ヒラシマさんに関する詳しいお話が見られます。すがや先生さすがですね。
https://note.mu/msugaya/n/nd2143485aac0