レーサー鹿島さん、インディライツデビューまでを振り返る①



今度、実況を担当するレーサー鹿島さんですが、バーバーダッジプロシリーズでアメリカでのレースデビューを果たし2004年にインディライツシリーズ(当時の名称はインフィニティプロシリーズ)にデビューしました。

自動車メーカーや大スポンサーなどのバックアップは全くなしで現地に赴き、様々なチームと交渉した結果。トップチームであるサムシュミットモータースポーツと契約を結びました。

当時、私は日産のウェブページ用にインフィニティプロシリーズのレースリポートと写真を送っていたので、米国日産のスタッフともインディライツの運営スタッフとも密な関係を持っていました。

そこで、鹿島さんから相談を受け、まずは自らの目でレースを見て現場のチームとコミュニケーションをとることを勧めました。その結果、2004年のインディカーシリーズフェニックス戦に私と同行することになりました。


現場ではサムシュミットモータースポーツをはじめ、松田さん馴染みのチーム、ベックモータースポーツのグレッグ・ベック氏、インフィニティプロシリーズ代表のロジャー・ベイリー氏ほか様々なチーム、スタッフとコンタクトしてレースカーの準備状況、参戦コスト、テストスケジュール、ほかのチームの評判や情報などを集めて回りました。

このフェニックスでのリサーチは今を思えば本当に重要でした。イニシャルコンタクトをメールなどでやり取りする人もいるそうですが、現場でじかに会ってお話しするのはお互いの感触を確かめあううえで不可欠だということがわかりました。

その結果、フェニックスを後にする時点までには話し合いを進める候補を3つくらいまで絞れたような気がします。現場でそれを実感体感できたというのは判断するうえで大きな助けになっています。

で、鹿島さんとはレースウェイで別れ
知人が借りたキャデラックの広報車でLAまで帰る予定だったのですが、その広報車がスピードウェイを出て30分もしないうちにオルタネータートラブルが発生!まったく発電をしなくなり、なんとか宿泊したホテルの駐車場まではたどり着けました。


どうしようもなくたったので、GM広報に連絡して車はピックアップしてもらうことにして、フェニックスからLAまでは自腹で航空券を買って帰ることになりました。

しかしなから、日曜日の夕方ではLA行きはキャンセル待ちという状態。幸運にもロングビーチ行きにはわずかに空席があったので、それで何とかLAエリアまでは帰ることができました。

もし、このトラブルがフェニックスとLAの間の砂漠のど真ん中で起きなくて本当に良かったです。命に係わります。

その②へ続く。

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